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みらいシネマ アーカイブ

長崎 閃光の影で
2026816
映画
「長崎 閃光の影で」
トークショー
ゲスト:
松本准平(監督)・菊池日菜子(主演)
聞き手:
佐々木亮(長崎新聞記者)
司会:
古賀和子
写真:
小賦光良

映画制作のきっかけ

佐々木
皆さん、映画をご覧いただいたと思います。私は長崎で新聞記者をしており、これまで原爆に関する本や手記を読んだり、被爆者ご本人からお話を伺ったりしてきました。
この映画を観るのは今日で3回目ですが、細部まで本当に細かく考え抜いて作られていると感じました。また、原爆について初めて知る方にとっても、この映画はとても良い「入門編」になるのではないかと思いました。軽い映画やテレビ作品の実写化などが多い中で、これほど直球で難しいテーマの映画を作ることになったきっかけから、監督に伺いたいと思います。
松本
もともとは2019年の末頃に始まった企画です。1988年に製作された「TOMORROW 明日」という、長崎原爆を扱った作品があります。そのプロデューサーである鍋島壽夫さんが、この企画を進めたいということで、長崎や被爆者に関係のある監督を探していました。その中で声をかけていただいたのが最初のきっかけです。
「TOMORROW 明日」は、8月9日の一日前の話で、原爆が投下され、炸裂する瞬間で映画が終わります。鍋島さんは「ビフォアはやったので、今度はアフターをやりたい」という構想を持っていて、その話をいただきました。

祖父の被爆体験と映画とのつながり

佐々木
松本監督ご自身も長崎のご出身で、確かお祖父様が原爆に遭われているんですよね。
松本
私は被爆三世です。父方の祖父が被爆者でした。祖父から被爆体験をたくさん聞いてきたわけではありません。おそらく、孫にはいろいろ話したくなかったのだと思います。被爆者だったということは小さい頃から知っていましたが、映画を撮影する前に、祖父の名前を検索してみました。祖父は松本徳三郎という名前なのですが、検索すると長崎新聞のアーカイブに祖父の手記が掲載されていました。そこには、どんな体験をしたのか、怖くなって逃げてしまったことなどが書かれていました。それを知ったことが、自分とこの作品との一つのつながりになり、おかげで作品に取り組みやすくなったところがあります。
佐々木
お祖父様は三菱で被爆されたんですか。
松本
そうです。三菱で、爆心地から4~5キロほど離れたところで被爆したそうです。友達らしい人がいたのですが、近寄ってみると、もう人間ではないような姿になっていた。それで怖くなって逃げてしまった、と手記には書かれていました。
佐々木
映画でも三菱に勤めているという設定になっていましたが、それはやはりお祖父様を意識されたのでしょうか。
松本
祖父というよりは、「長崎といえば三菱だろう」ということで三菱にしました。少し安易かもしれませんが。
佐々木
私も取材で被爆者の方に何度もお話を伺ってきました。取材が終わった後、「この話を息子さんやお孫さんにもされるんですか」と聞いたら、「とんでもない。あんたが他人だから話せるんだ。自分の子どもにこんな辛く悲しい話ができるわけない」と言われたことがあります。それくらい、原爆の話を語るというのは、辛いことを思い出すことでもあるんだと思います。その一方で、こうして語っている方々がいて、今日のような映画ができているということを、まず皆さんに知っていただきたいと思います。

菊池日菜子さんのキャスティング

佐々木
映画の話に戻りますが、主演の菊池さんにも来ていただいています。まず監督に、菊池さんをキャスティングした時のポイント、なぜこの役を菊池さんにやってもらいたいと思ったのかを伺いたいと思います。
松本
菊池さんとは、最初はまだ一言、二言しか話していなかったので、どんな人かはよく分からなかったんです。ただ、とにかく不思議な人だと思いました。世の中のリズムとは全く別のリズムを持っていて、自分の大切なコアのようなものを、すごくピュアに守っている。
スミという役柄は、まさにそういう人物だと思っていました。ありのままに、素直な感受性を持って存在している少女が主人公だと考えていたので、菊池さんに会った時に、「スミの役は菊池さんのほかにいない」と思いました。
佐々木
菊池さんは、初めてこの映画のお話をいただいて、脚本を渡された時、どんな印象を持ちましたか。
菊池
私は、いつか戦争に関わる映像作品に出演したいという夢があったので、このお話を伺った時は、純粋に嬉しかったです。でも同時に、台本を読んでみると、とても重いテーマでした。撮影期間は1か月でしたが、その重い負荷に自分が耐えられるのかという不安もありました。それでも、やるしかないので、とにかく考え得る努力はすべてやろうと心を決めて挑みました。

戦争をテーマにした作品への思い

佐々木
先ほど、いつか戦争に関する作品の仕事がしたいとおっしゃっていましたが、若い菊池さんがそう思ったきっかけは何だったのでしょうか。
菊池
母がすごく映画が好きで、幼い頃から映画を勧めてもらい、一緒に観ていました。中でも海外の戦争映画をかなり観てきました。戦争映画でフォーカスが当たるのは、戦っている兵士たちが多いですよね。私は性別上、兵士として戦うお芝居はきっとできないだろうと思っていました。でも、どうにかして、残す価値のある作品に携わりたいとずっと思っていました。兵士ではなくても、私にとって意味のある役をできるのではないか。このお話を聞いた瞬間にそう思ったので、飛び込んでみようと思ってお受けしました。
佐々木
ご出身は福岡ですよね。例えば、親戚に原爆に遭った方がいるなど、そういったつながりはありますか。
菊池
そういうことは聞いたことがありません。ただ、土地柄として、修学旅行で長崎に行ったり、鹿児島で特攻について学んだり、九州にまつわる平和学習は多く受けてきたと思います。もちろん、それだけでは足りないですし、知らないこともたくさんあります。でも、そうやって学んできた以上、自分の中に積もっている平和に対する意識や、戦争について思うことを、芸術として昇華したいという思いはありました。

菊池さんの役作り

佐々木
先ほど「やれることは全部」というお話がありましたが、具体的にはどのような役作りをされたのでしょうか。
菊池
この作品は手記をもとにしています。手記を読んでいると、看護師として被爆者の看護にあたった方でさえ、被爆された方の苦しみをどれだけ想像しようとしても、100分の1にも及ばないというようなことを書いていました。当時を生きていた看護師の方ですらそう思うのであれば、2002年生まれの私には、到底及ばないだろうと思いました。それは悲しいことですが、まず受け入れるしかない事実だと思いました。その上で、自分に何ができるかを考えました。私にできるのは、やはり「想像し続けること」だと思ったんです。
当時の手記や残されている映像など、いろいろな知識を頭に入れて、その上で役者としてどう向き合うべきか、答えを出さずに考え続けることをずっと意識していました。

撮影前の準備と現場での演技

佐々木
監督は、原爆を体験された方として最後に登場する山下フジヱさん以外、ほとんど戦後生まれの俳優やスタッフで作品を作られたと思います。菊池さんへの演技指導や、役作りのアドバイスはどのようにされたのでしょうか。
松本
菊池さんをはじめ、主要なキャストには撮影の1か月ほど前から集まってもらいました。僕自身ももちろん学ばないといけないので、まず手記の中から、一番心に刺さった手記を一人ずつ選んでもらい、それを朗読してもらいました。それから、原爆に関する記録映像やドキュメンタリーをみんなで観たり、専門的なワークをしたりして準備しました。ただ、現場ではお任せです。ほとんど何も言いませんでした。
菊池
ワンカットの長回しがすごく多い現場だったので、特殊な撮影方法でしたが、私はそれにすごく助けられました。

青酸カリを投げるシーン

佐々木
菊池さんが演じてみて、特に印象に残っているシーンはありますか。また、NGを何回も出したとか、逆に「やりきった」と思った場面があれば教えてください。
菊池
本当にどのシーンも印象深いです。「やりきった」という感覚は、あまりありませんでした。当時を生きようとして現場にいるので、やりきったとしても、その先には未来が待っています。私たちと同じように生きていかなければならないので、終わりがないんですよね。
この作品では、これから生きていくスミの姿が最後に描かれているので、終わりがない中で、ずっと自分と戦いながら、向き合いながら進むしかありませんでした。その中でも印象に残っているのが、少し高いところに登って、みんなで青酸カリを投げるシーンです。
婦長がアメリカ兵と一緒に町に消えていったのを見て、3人がいろいろなことを思い、青酸カリを投げるシーンです。あの時、感情がまったく動かなかったんです。監督から「日菜子、今何考えてる?」と聞かれました。いろいろなことがあって、当時の方もこうだったんじゃないかと想像したのですが、自分の感情をオフにするしか、自分を守る方法がなかったような感覚がありました。
松本
現場では、誰よりも辛そうだったんですよ。あまり寝ていなかったですよね。
菊池
寝られなかったんです。冷や汗をかいて飛び起きる日々で、日に日にクマがひどくなっていきました。
松本
照明では一応、映画としてクマを隠そうとするんですけど、最後の方はメイクさんもほとんどすっぴんに近い状態だったので、もう隠さずに生かそうということにしました。

3人の長回しのシーン

佐々木
私がこの映画で特に印象に残ったのが、3人でリヤカーを引いて焼け跡を歩きながら、議論する場面です。「許すのか、許さないのか」「許さなければどうするのか」という、戦争や報復の連鎖にもつながる問題について議論しています。しかも、あの場面は若い3人だけの長回しですよね。撮影した時のことをお二人に伺いたいと思います。
松本
あれは、たった1回しか撮っていません。2回目はなく、ワンテイクだけです。最初に準備をして、段取りをするんですが、僕は段取りでお芝居をしてもらうのが好きではないので、台本を持ちながら読んでもらいました。ただ、それだけではイメージがはっきり湧かない。感情的になるシーンなので、必要最低限のことだけ確認しました。その後、太陽の状態が良くなかったので、待機することになりました。
菊池
照明の川井稔さんが狙いたい時間帯があって、そこでバチッと決めたいという意向がありました。それで1時間半くらい待機しました。私たちは集中力を切らさないことと、今持っている内なる感情を少しでも下げないことを意識して、どうにかキープしなければなりませんでした。この1時間半が本当に大変でした。監督もスタッフの皆さんも、本当に地獄のような1時間半を耐えて、そして1回だけ回したのが、あのシーンでした。
佐々木
見ている側からは、それが分からないくらい、本当に3人の感情がぶつかり合っていました。「お芝居」という感じがなく、それぞれがまさにあの時代を生きている人として感情を出して議論しているように見えました。
菊池
そのシーンでカットがかかって、「どうかな、OKかな」となった時、企画の中村佳代さんが、本当に私たちメインの3人を娘のように可愛がってくださっていたんですが、涙をボロボロ流しながら「いいシーンだった」と言ってくださったんです。その瞬間に、1時間半、集中力を切らさずに耐えてよかったと思いました。すべてが報われた瞬間でした。

3人のキャラクターについて

佐々木
3人のキャラクターについてですが、原案になった看護師さんの手記はあったと思います。一方で、3人のキャラクターは監督が脚本を書かれた、フィクションの人物ですよね。
松本
3人は完全にフィクションの人物です。スミは、先ほど話したように、純粋な状態で現場にいる人物として描きました。長崎なので、ミサヲはクリスチャン、カトリック信者という設定にして、慈しみなどをイメージしながらキャラクターを作りました。アツ子は、軍国主義の少女という形で作っています。リヤカーのシーンでは、この3人がそれぞれ持っているものがすべて吐き出されるような対話が生まれることを前提にしていました。そして、それをお客さんも巻き込んでいくようなシーンになればいいと思っていましたので、ある程度成功したのかなと思っています。
菊池
よかったです。報われます。

80年前の看護師を演じる難しさ

佐々木
80年前の看護師を演じる上で、役作りの苦労や工夫はありましたか。
菊池
私にできることは、本当に想像し続けることだと思っていました。逆に言えば、自分が今感じていることや、自分が持っているスミという人物像を決めつけないことも、ずっと意識していました。その分、頭が燃えるほどずっと暑かったです。カットがかかって、私服に着替えて帰る車の中などで、ミサヲを演じた川床明日香ちゃんと話していると、どうしても彼女がミサヲにしか見えない瞬間がありました。自分の生活、菊池日菜子としての生活に戻れない感覚を初めて味わいました。本当に1か月ずっとスミだったので、私生活がなくなったというのは新しい経験でした。今となってはこうやって言えますが、大変だったなと思います。
松本
監督としては、役者さんではないので分からない部分もありますが、キャラクターを決めてしまう方が、おそらく簡単だし楽なんじゃないかと思うんです。最初に分析して「あ、このキャラクターだ」とつかんで、そのまま演じる方が簡単なんじゃないかと思います。
でも菊池さんには、つかんだとしても、つかみきれないままやるという、すごく難しいことに挑戦していただきました。
この映画の人物たちが置かれている環境は、本当に地獄のような、想像しようとしても絶対に想像しきれない場所でした。そこに飛び込んでいただいたことには、本当に感謝しかありません。僕自身、予算が十分にあるわけではありませんでした。予算があれば、もっと当時の長崎を再現することもできたと思います。ただ、現状の中で極限まで近づこうとしたら、僕にとっては役者さんに頼るしかありませんでした。人間の心であれば、セットなどよりも、もっと当時の被爆者の方々の心に近づけるのではないかと思いました。僕にとっては、役者さんを撮るということが一番、自分に課した命題でした。菊池さんには本当に感謝しています。

「許す」というテーマとキリスト教

佐々木
この映画の重要なキーワードの一つが「許す」だと思います。長崎は浦上に原爆が落ちたということもあり、監督ご自身もキリスト教にご縁があると思いますが、脚本を書く上で、カトリック信者として考えたことや、作品に入れたいと思ったことはありましたか。
松本
僕はカトリック信者です。脚本を書いていて、カトリック信者としては、やっぱり「許したい」というふうに思ってしまうんですよね。ただ、「許す」というのは生易しいものではありません。長崎の現状の中で、許すことが困難であるということも分かっています。
だからといって、「復讐していい」「許さなくていい」ということでもないだろうと思いました。その自分自身の葛藤のようなものを、この映画に預けたいと思って、脚本を書き、演出しました。

救えなかった医師・看護師の姿

佐々木
長崎で取材してきた立場からすると、一人一人の脇の人物まで、ものすごく考え抜かれていると感じました。例えば、お医者さんが途中で疲れて席を立とうとするけれど、また戻ってくる場面があります。今でも熊本など、さまざまな災害の被災地で、助けに行った人自身が疲れてしまうということがあります。映画では、医師や看護師が主人公だと、超人的に活躍して絶体絶命のピンチを奇跡的にくぐり抜け、多くの人を救う作品が多いと思います。でも、この映画は頑張ったけれど救えなかった。救えないどころか、救いに行った人自身が亡くなってしまう。映画としては、なかなかない作品だと思いました。
松本
とても残酷ですが、そういった物語にならざるを得ない現実だったと思います。おそらくこのような現状は二度と起きないということです。仮に核兵器が使われたとしても、誰も救護に入らないと思います。放射線について理解しているからです。彼女たちはそれを知らなかったので入っていった。亡くなった方がほとんどですが、何人かは救うことができました。もし3回目の核兵器が使われたとしたら、誰も入らないでしょう。そう考えると、本当に悲惨で、想像するだけで怖くなるようなことだと思います。

美輪明宏さんの語り

佐々木
この映画では、ほとんどのスタッフ、キャストが戦後生まれですが、美輪明宏さんが冒頭と最後の語りを担当されています。美輪さんご自身も10歳で長崎で原爆を体験されています。美輪さんを冒頭と最後の語りに起用した狙いを教えてください。
松本
美輪さんは本当に大尊敬している、大好きな表現者です。被爆者であり、唯一無二の表現者でもある美輪さんに、冒頭と最後に声をいただけたらというのは、ずっと思っていました。たまたま友達のつてで連絡先を知ることができたので、すぐに連絡して「お願いします」と言ったら、1週間ちょっとくらいで「OKです」と返事をいただきました。本当に嬉しかったです。
古賀
ここで、美輪さんのコメントをもう一度皆さんに聞いていただきたいと思います。
美輪明宏の語り
古賀
私もこの映画を観て、美輪さんの声を聞いた時に、言葉では表現できないような重い感情がストレートに伝わってきました。美輪さんが最後まで「愛があれば戦争は起きない」と言い続けてこられた、そういう思いすべてがこのコメントの中に込められているように感じました。日菜子さんはどうですか。
菊池
私は美輪さんには直接お会いできなかったので、実際にこの声をお聞きできたのが最初でした。美輪さんの声で始まって、そして美輪さんの声で終わる。同時に、先ほど紹介していただいた山下フジヱさんの映像もあります。映画が終わって、皆さんが映画館から退場していく、その一連の流れだけで余韻が何倍にもなる感じがありました。この映画の厚みを作ってくださった、本当に素敵な表現者の方々に助けていただいたと思います。

山下フジヱさんについて

古賀
山下フジヱさんについて、監督からも紹介していただけますか。
松本
山下フジヱさんは、最後に出てくるおばあちゃんです。被爆者の方で、手記をもとにしているのですが、長崎で実際に被爆者の救護にあたられた看護婦さんです。撮影を計画した時には、お二人の方がご存命でしたが、撮影前にお一人が亡くなられて、フジヱさんしかいらっしゃらなくなりました。撮影は2023年の10月か11月でした。コロナなどもあり、準備も慌ただしかったのですが、フジヱさんを絶対に撮らないといけないので、なるべく早く撮影しようということになりました。フジヱさんは二つ返事で、この作品であれば出演すると言ってくださいました。山王神社というところにクスノキがあり、長い階段があります。ご本人はあまり歩けなかったのですが、撮影の時には「自分で歩く」と言って、一段一段階段を登って撮影してくださいました。

クスノキが象徴するもの

古賀
今、クスノキの話が出ました。映画の中でも、福山雅治さん作詞・作曲の「クスノキ」が出てきましたよね。3人が歌っている歌です。日菜子さんは実際にクスノキをご覧になったそうですが、何を感じましたか。
菊池
「70年はきっと元に戻らない、植物たちは芽吹かないだろう」と言われていた土地から、たった2か月でまた芽吹いたクスノキの話を聞きました。今、実際に見ていただいたら分かると思いますが、とても大きくて、緑の雄々しい木に育っています。この木が守ってくれているんだ、ということを直接感じました。私はこれまで、木に触れて力をもらうというようなことにはあまり詳しくなかったのですが、初めてクスノキに触れた時に、これから生きていく上で大事な原動力や活力が、ここに詰まっているような感覚をもらいました。
古賀
監督はクスノキをどのように考えながら撮影されたのでしょうか。
松本
僕は長崎人なので、よくある景色という感じでした。でも改めて、この映画を撮るにあたってクスノキと向き合うと、本当に生命力を感じました。映画の最後には、当時のクスノキの写真も載せています。そのクスノキが被爆したということと、そこから芽生えていったということを暗示できればと思いました。希望のように見えればいいなと思って、クスノキに託しました。

ジョー・オダネル氏の写真と映画の少年

古賀
アメリカ海兵隊の写真家、ジョー・オダネルさんが撮った写真があります。赤ちゃんを背負った少年が、遠くを見つめながらまっすぐ立っている写真です。私も若い時にその写真を見て、強く印象に残っていました。「この子は何を待っているのだろう」と、それぞれ想像することができると思います。映画の中にも、同じような少年が出てきました。
松本
この写真は長崎原爆を象徴する写真になっています。カトリックの教皇であるフランシスコ前教皇も、この写真を世界中に広めました。そのため、作品の中に取り込んで、作品世界の中で描かないといけないと思いました。ただ、この写真については「実際には長崎で撮られたものではないのではないか」という説もあります。ジョー・オダネルさんが記憶を混同していて、どこで撮られたのか正確ではないという説です。最初は全く同じように取り込むつもりでしたが、実際とは違うことが明らかになった時によくないと思いました。
ただ、あの兄弟はその場にいたはずなので、その少年として撮ろうと思いました。
古賀
日本の戦後の景色の一場面であることは間違いないですよね。オダネルさんも、あの少年を後で探したそうですが、結局見つからなかったということですね。
松本
一部の調査によると、「明宏君」という名前までは分かったりしています。それで映画の中では明宏君にしました。ただ、その明宏君が美輪明宏さんにもつながっているんです。最近、「明宏という名前は美輪さんから取ったんですか」とよく聞かれますが、美輪さんから取ったわけではありません。ただ、今年ご覧になる方は、美輪さんの姿とリンクされるのかもしれませんね。キリスト教などで「コーリング」という言葉を使うことがありますが、美輪さんの存在や、あの少年、クスノキ、そして日菜子さんとの出会いなど、いろいろなものがこの映画の中に詰まって、タイミングがあったということなのだと思います。
古賀
お客さんがこの映画をご覧になるタイミングにも、まさにそういうご縁があるということですね。
松本
そうだと思います。お客さんがご覧になるタイミングも、まさにそういうご縁があると思いますので、何か少しでも持って帰っていただけたら嬉しいです。

ノーベル平和賞授賞式を取材して

古賀
佐々木さんは、先ほどから長崎や原爆のことをずっと取材してこられたと紹介していますが、ノーベル平和賞の授賞式にも行かれたんですよね。
佐々木
ノーベル平和賞の授賞式では、被爆者の方々と同じ飛行機でオスロに行きました。4泊6日の旅で、時差もあり、体力的にはかなりきつかったです。当時60歳だった私でも4泊6日の旅は大変だと思ったのですが、考えてみれば、被爆者の方々は私より20年、30年上の方ばかりです。その方々がオスロまで行って、単に「おめでとう」ではなく、ヨーロッパの人たちに何を訴えたいのかを話し、集会を開いて被爆証言もされました。その姿を見て、「自分たちが大変だ、しんどいと言っている場合ではない」と思いました。こうしたことを次につなげていかないといけない。使命だと思いました。平和へのメッセージがありますので、少し見ていただきたいと思います。
ノーベル平和賞授賞式・田中煕巳さんのスピーチ
佐々木
日本被団協は今年、結成から70年を迎えました。先日8月10日には、結成70周年の記念記者会見と声明を発表しました。被団協だけでなく、被爆者の皆さんから取材していると、よく「三つの責任」という言葉を聞きます。「私たちには、過去に対する責任、現在に対する責任、未来に対する責任がある」ということです。現在に対する責任は、今まさに苦しんでいる原爆被害者、戦争被害者への補償。過去への責任は、過去にあったことを絶対に忘れないため、きちんと記録すること。そして未来への責任は、未来の人が被爆者にならないよう、核戦争を絶対に起こさない、起こさせないことです。
田中煕巳さんのスピーチにもありましたが、今、世界には1万2千発以上の核兵器があり、この映画の最後にもそのことがテロップで出ています。そう考えると、未来への責任というのは、原爆は81年前の昔話で終わっているわけではないということです。今まさにある問題であり、未来への問題でもある。被爆者の皆さんはそう訴えていますし、私たちもそれをきちんと受け止め、未来に伝えていきたいと思って日々取材しています。

平和を守るために

古賀
それでは最後に、監督と日菜子さんから一言ずつご挨拶をいただけますか。
菊池
本日は貴重な機会を本当にありがとうございました。私が最後に舞台挨拶をしたのが1年前の長崎と東京でした。こうして1年後に、そして8月15日の終戦記念日の翌日という意味のある時期に、私が生まれ育った福岡で、こうして映画を観てくださった皆さんの前でお話しできる機会を設けていただいたことを、本当に光栄に思います。ありがとうございます。
来ていただいたからには、一緒に平和について、戦争について、私たちがどうあるべきなのかを、これから考え続けていければと思っています。「微力だけど、無力じゃない」という言葉がすごく好きです。きっとたくさんの人がいる地球の中では、本当に微力なのかもしれません。でも、みんなで集まれば大きな力になると信じています。私は平和を祈り続けたいと思っていますので、皆さんもどうかご協力をよろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。
松本
80年の節目にこの映画が公開されて、81年というところで、またご覧いただけて本当に嬉しいと思っています。82年、83年と、どんどん続いていきます。皆さんも、今日観たこの映画をまた思い出して、広めて、語り継いで、平和への思いをつなげていただければと思います。
そして、先ほど菊池さんも言っていましたが、本当に過去の長崎だけの話ではなく、今も世界が危機的な状況に陥っていると思います。実際にその場所へ行けるわけではありませんが、僕がこの映画を作った時に、菊池さんもそうですが、想像力を働かせてスミたちに近づくよう努力しました。私たちも今、世界各地で苦しんでいる方々に想像力を使えば、寄り添うことができると思います。一緒に平和について考えていければと思っています。
そして僕自身も、この映画から毎年毎年、いろいろなことを教えてもらえればと思っています。
会場からの質問

会場からの質問

会場1
菊池さんにどうしても一言伺いたいことがあります。劇中で、原爆が炸裂して、菊池さん演じるスミがパッと起き上がるシーンがありました。この撮影が終わってから、通常の生活にスムーズに戻れたのでしょうか。
菊池
正直に言いますと、戻れなかったです。私の記憶では、2か月ほど、あまり眠れない日々と、情緒が安定しない日々が続きました。それは、先ほど言っていた「閃光」というより、タイトル通り「閃光の影で」、私たちが何を見て、何を感じたのかということを、やはり抱えて向き合いながら生き続けなければいけないということだったと思います。
それを切り替えるというよりも、受け入れて飲み込んで、新しく歩みを進めていく自分に変わるまでに、2か月かかったという印象です。
古賀
ありがとうございます。役者として、その後どうなったのかという点では、菊池日菜子さんの新しいドラマが、今度の土曜日、22日からNHKで放送されます。「リラの花咲くけものみち2」というドラマで、獣医師を目指す学生たちの物語です。この作品で菊池日菜子さんがどんな演技を披露されるのか、私たちも楽しみにしたいと思います。
菊池
ありがとうございます。この映画とは打って変わって、明朗快活な女の子を演じていますので、「リラの花咲くけものみち2」という作品として、お楽しみいただければと思います。
会場2
監督と日菜子さんに質問です。被爆者の方々から受け取ったバトンを、どういうふうにつないでいくのが一番いいのか、ぜひ教えていただけたらと思います。
菊池
すごく難しいですよね。私は正直、まだ決まっていません。こういった活動をしたいということも、まだ決まっていません。ただ、昔からずっと考えていることがあります。
人権学習や戦争学習など、そういった「負の歴史」、犯してしまった過ちについて、小学生や中学生が何を学べばいいのかということには、すごく疑問があります。
小学生だった時に、差別学習などを学ぶ必要があるのかということを考えた時期があり、今も答えが出ていません。学ぶことを強いるのは違うのではないかと、正直思っています。
本人のペースで、知りたいこと、戦争について、平和について興味を持っていただかないと、本当の意味では消化できないのではないかと思っています。だからこそ、私たちは「知る機会」を作るしかないと思っています。こうして上映していただく機会が本当にありがたいです。8月になったら「長崎 閃光の影で」を見る、ということが、この先ずっと続いていけばいいなと思っています。
松本
僕も同じように、この映画が本当に毎年毎年、毎年に限らず、毎週でもいいんですが、いろいろなところで観られるといいなと思っています。それでも足りなかったら、もう一本撮るしかないと思います。よろしくお願いします。
古賀
佐々木さんも、ジャーナリストとして一言お願いします。
佐々木
話題になって、すぐ消費されて消えてしまうような映画もあると思います。でも、この映画は本当に長く、長く観てもらいたいし、見られ続けてほしい映画だと思います。今年の8月9日の平和宣言でも引用されましたが、長崎ではよく「長崎を最後の被爆地に」という言葉が言われます。最初の被爆地が広島というのは歴史的事実で、絶対に変わりません。長崎を最後の被爆地にするためには、二度と原爆、核兵器を使わせない。そのために私たちが努力するしかない、平和を守るしかないと思います。ぜひ長崎を最後の被爆地にするために、私たち一人一人が常にそう考え続けなければいけないと思います。おそらく松本監督も菊池さんも、どこかでそういう思いを仕事のベースに持ちながら、これからも活動を続けていかれるのだと思います。
古賀
それでは、ここでトークショーを終了させていただきます。松本准平監督、菊池日菜子さん、佐々木亮さんに、今一度大きな拍手をお願いいたします。ありがとうございました。
上映会アンケート
原爆落下後に看護にあたった方に敬意を表します。この映画にも同じことを感じました。当時のことを覚えておらず、歳を重ねていくうちに知ることが増えてきました。『原爆は地獄よ。』という言葉が心に突き刺さりました。戦争のない、核もない平和な世界が、これからずっと続きますよう祈念します。今日はありがとうございました。この映画が全国で上映されますように。 (80代 女性)
原爆投下直後の長崎の救護活動に視点を置いた映画を、初めて見ることができました。看護師の方の青春が奪われた日々が心に響き、涙が出ました。
とてもよい映画でした。製作・上映に関わった方は、大変よいお仕事をなさったと思います。ご努力に感謝いたします。3人の看護師の働きは素晴らしいものでした。女優さんの力量もあってか、私は婦長さんが人間味があり、力強く立派であると感じました。ありがとうございました。
目を背けたくなるような場面も多い映画でした。『日本が始めた戦争』とちゃんと言ったのはよかったです。朝鮮人への差別も描かれていて、目配りも素晴らしい。一発の原爆が落とされる前日、のどかな日常に見えるけれど、戦争末期の悲惨な日々だったはずです。それが天国に見えるほどでした。原爆後の光景は地獄絵図で、原爆がどんなに悲惨なものなのか、それが今回はっきりわかりました。トークショーもおもしろかったです。菊池さんがしっかりされている方で、舌を巻きました。 (60代)
UD Cast対応で字幕入りの上映、監督と主演を迎えてのトークと、とても豊かな時間でした。聴覚障がい者ですが、字幕入りの上映はとてもありがたいです。先日は熊本県小国でも行われていましたが、九州各地で同様の企画を行ってほしいと思います。 (40代 男性)
体の傷よりも、心の傷が大きいと思った。 (長崎生まれ 74歳)
終戦の日の翌日というタイミングでの上映は、時宜を得てよかったと思います。反戦や非核を声高に訴えるのではなく、自らも被爆しながら被爆者を看護する側の視点で描かれたこの映画は、怒りや憎しみよりも悲しみや祈りに満ち、そのことが心に沁みました。上映開始時間は13時30分〜14時だと昼食時の移動が避けられるので、助かります。
感動しました。この映画をよく作ってくださいました。あの日の思い出としての最後の言葉と、歳月の日々を思います。長崎の被爆者団体でボランティアをされている大庭義弘さん(86歳、三菱で働いていた方)を訪ねました。海外に被爆経験を語り伝えられている方です。ご自身は当時5歳で、その日の様子を話してくださいました。 (80代 女性)
毎年、テレビや映画、新聞等で戦争の悲惨さを胸に刻みつけるようにしています。それまで知らなかったことを次々に知るようになり、今の世界の動きに憤りを感じています。戦争を知る人たちがいなくなる中で、若い人には無関心ではなく、しっかりと知り、見て判断できる生き方をしてほしいです。 (70代 女性)
令和8年の今、まさか戦前なのか? と思わざるを得ない状況で、不安と心配が日ごとに増してきています。戦争の悲惨さ、残酷さを皆が心底感じられるためにも、今回の映画は小学生から大人まで鑑賞してほしいです。
長崎に原爆が落ちたことは当然知っていましたが、映像を見たことにより深く知ることができました。この映画は学生など、多くの若い人たちが見るべき映画だと思いました。上映していただき、ありがとうございました。 (30代 男性)
今、世界のあちこちで争いが起きています。天災、人災。子どもたちの未来はどうなるのでしょうか? 広島、長崎のような悲劇が起きないことを祈っています。 (女性)
大変優れた映画だった。それだけに、ところどころ時計など肝心な音が聞こえなかったのが残念。音響機器の問題か?
大変よい映画でした。話を聞くだけでなく、映像と音で戦争を考えることはとても大切です。ぜひ若い世代の人に観てほしい。何らかの方法で多くの人が見るべき映画です。 (70代 男性)
昨日『開戦前夜』という映画を見て、今日この映画を見ました。人間はなぜ戦争を選んだのかと思います。この映画の内容も本当に信じられない。亡くなった方々のためにも、『生きていることは当たり前ではない』と伝えていかなければいけないと思います。 (60代)
原爆と被爆について考えさせられました。ありがとうございました。 (60代 男性)
福山雅治の『クスノキ』が素晴らしい。『長崎 閃光の影で』をもう一度見たい。8月9日は長崎の浦上の追悼式に参加しています。 (80代 男性)
若い世代に原爆のこと、戦争のことを知らせて語り継ぎ、戦争をなくし、核兵器をなくしていけるようにしなくてはならないと思います。この映画はずっと各地で上映してほしい!
デリケートな内容の中で、複数の立場から描くことで、悲惨さを全面に出すのではない原爆の映画を見ることができて、とてもよかったです。個人的には朝鮮をルーツにする被爆者の存在が気になっていました。現実の中で、こぼれ落ちてしまう存在について考えさせられました。また、赦すというのは誰に対してなのだろうと感じました。
私の母は長崎で被爆しました。10年前に76歳で亡くなりました。生かされた命を全うした人生だったと思います。母も、あの地獄のような時間を過ごしたかと思うと涙が出ました。上映ありがとうございました。 (60代 男性)
ずっと気になっていた作品だったのですが、観る勇気がなかなか出ませんでした。今回上映してくださって、観ることができてよかったです。言葉にならないぐらいしんどいお話でした。この先、こんなことが二度と起きてほしくないです。トークショーもとてもよかったです。平和についての答えは、菊池さんの言葉がとてもよかったです。難しいですが、平和について考え続けていけたらと思います。
原爆の落ちた直後の状況は、本当にもっともっと悲惨だったと思う。これから生きていく私たち皆が忘れてはいけないし、伝えていかなければいけない。
去年の冬に家族で長崎に旅行しました。過酷な過去の上に現在の平和な街があるのだと思うと、感慨深い気持ちになりました。劇中、ミサヲとアツ子が言い争うシーンがありましたが、世界中で戦争を起こしている指導者たちに聞かせたいと思いました。山王神社のクスノキを見たくなりました。
今も地球のあちこちで続いている戦争のことを考えると、人間が繰り返す行為が善悪のどちらにも終わらないことを実感する。 (50代)
初めて見ました。感動しました。今こそこの映画をアメリカ人に見せたいし、見てもらいたい。その意味で国際映画祭に何とか出品できないものでしょうか? 強く願います。 (70代 女性)
長崎の浦上の近くに寮に入っていたことがあります。福岡在住が長くなりましたので、長崎の方言が懐かしかったです。より身近に当時のことを感じました。 (女性)
平和について考えるよい機会となりました。 (男性)
Good (男性)
トークイベントのおかげで、作り手の方々の思いや、作品を撮り終わったあともずっと胸に留めていらっしゃることがわかり、とても貴重な機会となりました。
観てよかったと心から思いました。関係者のトークショーがある上映会の貴重さをとても感じました。結論を出し過ぎない。分かったと思いすぎない。考え続けるという言葉が心に残っています。スタッフの皆さん、ありがとうございました。 (女性)
8月にこの映画を上映していただいたことに感謝します。スクリーンで観ること、足を運ぶことの大切さを感じました。戦争を忘れない、繰り返さないこと、日本が平和を訴えていかねばならないことを強く思いました。今、必要な映画です。多くの人に届いてほしいです。 (女性)
この映画と同じように、今でも世界中で戦争が繰り返されています。ウクライナ、ガザ、イラン等々。絶対に戦争はしてはいけません。 (女性)
とてもよい映画を見ることができてよかった。トークショーでもいろいろな話を聞けてよかったです。また参加したいです。
この映画を日本中、世界中の人々に見てほしい。感動しました! もう一度見たいです!
昨年公開の映画でしたが、体調不良のため、観ることができずに残念に思っていました。菊池日菜子さんのインスタグラムで上映を知り、今回伺いました。つらい題材でしたが、最後までしっかり拝見しました。これからも機会があれば、伺いたいと思います。 (50代 男性)
今年101歳になる母も現地で救護活動をしていましたので、当時のことを語ろうとしなかった母の心情が、少しは分かったような気がします。 (70代 女性)
実際の手記をもとに、かなりリアルに出来上がっていると思いました。登壇された方が愛が必要と言っていましたが、本当にそうだと思いました。
素晴らしい映画でした。ありがとうございました。 (70代 女性)
長崎出身の被爆二世です。近年、当時のことが風化していて、原爆を体験した被爆者が減っていくことを危惧しています。何かせねばと思っています。 (60代 女性)
この時期に作品を観ることができてよかった。 (60代 女性)
当日の会場時間、入場方法、自由席か指定席かなどが事前に分からなかったのですが、ホームページやXでお知らせくださると、とてもありがたいなと思いました! 戦争の映画はしんどい気持ちになるので、こういう機会がないと自分から見ることはしなかったと思います。上映してくださってありがとうございます。 (20代)
菊池日菜子さんのインスタグラムを見てきました。このような機会がないと戦争の映画を見ることはないと思うので、映画の登場人物と同世代として、この映画を見ることができてよかったです。 (10代 女性)
長崎に居住したことがあるので、原爆投下による悲劇について、身近に感じてきました。とてもよい作品でした。今後も国内で上映してほしい。願わくば外国での上映が実現できたらと思います。 (70代 女性)
長崎で生まれ育った者として、未来への責任を考える映画となりました。 (60代)
とてもよい映画でした。できることなら小中学生にこの映画を観てほしいと思います。先日テレビで『8月15日は何の日だかわかりますか?』と中高生らしき学生さんに聞いたところ、『お盆です』と答えていたのには驚きました。 (女性)