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2025年10月17日(金)
映画
「かづゑ的」
トークショー
「かづゑ的」
トークショー
- 登壇者:
- 熊谷博子(監督)、斉藤とも子(ナレーション)
- 聞き手:
- 高橋巨典
- 司会:
- 古賀和子
- 写真:
- 小賦光良
- 司会
-
皆様、大変お待たせいたしました。これより『かづゑ的』上映会のトークショーを始めます。本日は熊谷博子監督、ナレーションを担当された斉藤とも子さんをお迎えしています。聞き手はフリーアナウンサーの高橋巨典さんです。どうぞ拍手でお迎えください。
(拍手)
- 高橋
-
皆さん、こんにちは。フリーアナウンサーの高橋巨典です。よろしくお願いいたします。私は今年でアナウンサー歴43年になりますが、これまで多くのドキュメンタリーを観てきた中でも、本作は本当に心に残る作品でした。本日は、熊谷監督、斉藤さんとお話しできることを楽しみにしていました。
それでは早速、熊谷監督にうかがいます。この『かづゑ的』という映画に取り組もうと思われた、きっかけを教えてください。
- 熊谷
- 熊谷博子です。よろしくお願いします。映画を「素晴らしい」と言っていただくことが多いのですが、私はいつも「素晴らしいのは私ではなく、かづゑさんです」とお答えしています。実は、それまで私はハンセン病について、世間一般の知識しか持っていませんでした。療養所を訪ねたこともありませんでした。転機は、被爆70年の年に長崎で被爆者の撮影をしていた時です。信頼している女性医師から、「何が何でも会うべき人がいる」と連絡を受けました。東京に戻る途中、岡山で途中下車することにして、その前に、かづゑさんの著書『長い道』を読みました。正直に言うと、差別を告発する本だと思っていました。でも、冒頭の数行で一気に心をつかまれました。幼い頃、両親や祖父母に深く愛されて育ち、その大切な家族を、病気によって悲しませてしまったことが一番つらい――そこから始まる文章に、完全に引き込まれました。その時点で、「この方の人生を記録したい」と思いました。
- 高橋
- すぐに撮影をお願いされたのですか。
- 熊谷
- いえ。医師を通して気持ちを伝えていただきました。すると、「あの人ならいいわよ」という返事だったそうです。その一年後から、撮影が始まりました。
- 高橋
- 撮影は8年間に及んだそうですね。その間、大変なことも多かったのでは。
- 熊谷
- 長かったですね。ただ、かづゑさんは一度決めると、本当に自然体で受け入れてくださいました。撮影2日目にはお風呂の場面もありましたが、まったく構えることがなかった。私たちは一度も「こうしてください」とお願いしたことがありません。すべて相談しながら進めました。結果的に、8年間、人生に伴走するような撮影になったと思います。
- 高橋
- 映画の中には、いわゆる「かづゑ語録」と呼びたくなる言葉がたくさん出てきます。「いい格好をしていては本物は出ません」という言葉が、とても印象に残りました。斉藤さんは、初めてかづゑさんにお会いしたとき、どんな印象でしたか。
- 斉藤
- 熊谷監督に連れて行っていただきました。事前に映画を拝見していたので、ものすごい存在感の方だと思っていて、かなり緊張していました。でも実際にお会いすると、とても小柄で、失礼な言い方かもしれませんが、とてもチャーミングな方でした。お話し始めると、言葉が次々にあふれてきて、本当に魅力的でした。
- 高橋
- ナレーションも印象的でした。どのような気持ちで臨まれたのでしょうか。
- 斉藤
- 感情が入りすぎないように、かなり意識しました。気持ちが入りすぎると、聞く方に押しつけになってしまう気がして。なるべく抑えて読んだつもりですが、あとで自分で聞くと、冷たく感じる部分もあって、ナレーションの難しさをあらためて感じました。
- 高橋
- かづゑさんは、非常に読書家だと伺っています。
- 熊谷
- そうですね。暮らした場所は限られていましたが、読書量は本当に膨大でした。好きな本を聞くと、『デルス・ウザーラ』、次にスヴェン・ヘディンの探検記、3番目が『モンテ・クリスト伯』でした。本の主人公の生き方を、自分の人生に重ねて読んでいたのだと思います。
- 高橋
- 70代後半でパソコンを始められたというのも驚きです。
- 熊谷
- できないことより、「どうすればできるか」を常に考える方でした。
- 高橋
- 斉藤さんは女優としての活動に加え、社会福祉士、介護福祉士としても活動されています。その原点を教えてください。
- 斉藤
- 小学校六年生の時に母を亡くし、周囲の方々に助けていただきました。その恩返しがしたいという思いがずっとありました。38歳で大学に入り、社会福祉を学びました。被爆者の方々と出会い、「どんな状況でも人は生きられる」ということを教えていただいたことが、今の私につながっています。
- 高橋
- 大学で学ばれた中で、特に印象に残っているのはどんな事ですか?
- 斉藤
- 「大学時代に、井上ひさしさん作の「父と暮せば」という舞台出演が決まった。私は被爆した娘・美津江を演じることになった。その役作りのために広島を訪れ、被爆者の方々と出会い体験や生活を学んだ。
- 高橋
- それもあって「被爆」が斉藤さんの人生における重要なテーマとなったんですね?
- 斉藤
- 「大学の卒論では『被爆、そして生きる~被爆を乗り越えた女性たちの生活史』を、大学院修士論文では『きのこ雲の下から明日へ─原爆小頭症患者の親子の会 きのこ会の歩みと家族の生活史─』をテーマにしました。
- 高橋
- 「きのこ会」とは、どういう団体なんでしょうか?
- 斉藤
- 「原爆小頭症」という病気があって母親の胎内で被爆し、強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障害のひとつです。今も体の障がいや知的障がいに苦しんでいる人たちがいます。その被爆者や家族が中心となって作られた団体が「きのこ会」です。
- 高橋
- 母親の胎内で被爆した全く罪のない方々が、今も後遺症で苦しんでいらっしゃるんですね。さて、その「きのこ会」が製作した「わたしたちの声を聴いてください」というドキュメンタリーがあります。原爆小頭症の方々を追ったった映像ですが、その一部をご覧にいただこうと思います。ナレーションは斉藤とも子さんです。
VTR 「わたしたちの声を聴いてください」
- 高橋
- 原爆による深刻な後遺症がある上で、それが社会に十分に理解されていない点もあるように思いました。
- 斉藤
- 「原爆小頭症」にしても「ハンセン病」にしても、その人たちの声にたった一人でも耳を傾け、理解してくれる人がいたら、患者や元患者の人生は変わると思います。
- 高橋
- 熊谷監督、撮影された映像は相当な量だったのではないでしょうか。
- 熊谷
- かなりの量です。特に納骨堂の場面では、かづゑさんの慟哭が外まで響いてきて、胸に迫るものがありました。人生には、誰にでも天国と地獄がある。その言葉を何度も反芻しながら編集しました。
- 高橋
- 重いテーマでありながら、観終わった後に不思議な爽やかさが残る映画だと感じました。
- 熊谷
- それは、孝行さんとのご夫婦の存在が大きいと思います。泣いて、笑って、その両方があるからこそ、観ている私たちも一緒に生きているような感覚になるのだと思います。
- 高橋
- 完成試写の際、かづゑさんが書かれた詩が印象的でした。「うべないて 歩いてきた道 花がいっぱい 愛がいっぱい」。
- 熊谷
- 「うべないて」というのは「うなずいて」という意味だそうです。自分が納得して歩いてきた道には、花も愛もたくさんあった、というかづゑさんの心境だと思います。
- 高橋
- 最後に、熊谷監督の最新作『日々 福島のルワンダカフェから』について教えてください。
- 熊谷
- 福島で12年間撮り続けた作品です。難民だった経験を持つルワンダ女性が、原発事故で避難した人たちのためにお茶会を開く。その日々を描いています。
- 高橋
- 本日は、貴重なお話をありがとうございました。
- 司会
- この後、サイン会を行います。どうぞゆっくりお並びください。本日はありがとうございました。
上映会アンケート
なんという感性の豊かさ! かづゑさんの一言一言が心に深く届きました。神様から与えられた病は魂を浄化してきらきらと輝く本性へと還るように導いて下さった神様そのもののように思います。かづゑさんは誰の人生にも神様から恵まれた(与えられた)宿題があると教えて下さっていますね。エンディングロールで流れる音楽、特にバイオリンの演奏が繊細な心を映し出して、いて感動しました。バイオリニストの名前を見逃したのですが、どなただったのでしょうか?
とても素晴らしいドキュメンタリーでした。何も飾ることのない自然体のかづゑさんの人間としての強さに打ちのめされました。トークショーも色々なこぼれ話がきけて大変楽しかったです。
たいへんに静かなる感動の映画です。最後に考行さんのお骨を抱いて、嗚咽するかづゑさんの心情を思いやり涙しました。里帰りで墓参され「かあちゃんすぐ戻ってくるからね」と墓石を長い時間抱きしめる姿は人間性にあふれ、これまた感動しました。熊谷監督の柔らかな対応がすごかったです。ありがとう。
(80代・男性)
重い映画でした。予想をはるかに超えてすばらしかったです。胸に響きました。かづゑさんは本当に強い人。本物を語る人でした。言葉に力がありました。トークショーで熊谷さん「私の悪い。ところ撮ってないでしょ。撮らなきゃダメよ。と言われ続けた2年間でした」という言葉に感動しかありません。すべてを物語っていると思いました。もうひとつ別のことで感動したのですが、客席の通路側を空けて座っていた男性の方がいて、私はラッキーと思ってそこへ座ってしまったのですが、途中で気がつきました。この人は体が不自由な人たちのために、わざとそこを空けて、自分は出にくいところに座っているんだと。この会への配慮に違いありません。教えられました。私も次回からはそうします。今日は来て良かったと強く思った。一番の出来事でした。映画はもちろんとてもよかったんですけど、お客さんに感激しました。トークショーの手話通訳の方、一人もすごい。お疲れでしょう。ご苦労様でした。
(60代)
ハンセン病患者さんの思いがよくわかりました。かづゑさんの芯の強さに感銘を受けました。トークショーを聞いてよりかづゑさんの素晴らしさが分かりました。トークショーは長すぎました。
かづゑさんはすごく偉い人だと思います。
(70代・女性)
とても感動しました。
暗くなりがちなテーマの映画ですが、かづゑさんの明るさに救われました。かづゑさんの著書「長い道」の最初のページ「私という人間が与えた。悲しみはとても深い」という言葉に泣けました。
(70代・男性)
送られてきたメールの案内には13時と記載されていたので、13時に間に合うように来たのですが、まだ受け付けも設営されておらず30分も待たされました。こういう事なら13時30分から受付開始と書いてほしかったです。他にも13時頃に来られて待垂れていた方もたくさんお見受けしました。映画に関しては、以前に一度見たことがあり、その後著書を2冊読み、かづゑさんの生き方に感動しもう一度を見たくなったので、鑑賞しました。感激もひとしおでした。自分の生き方をもう一度考えさせられました。
サインのところ、泣いてしまいました。監督が、かづゑさんがあまりにも普通で指がないことを忘れていたと言われて納得しました。
(50代・女性)
久しぶりに心に響く映画でした。ちゃんと生きようと思います。
簡単に感想を言えないような気持ちでいますが、このタイミングで見ることができて、ありがたく思います。